私たちの平和宣言 

  平成23年8月6日 広島

 

66年前の今日(きょう)、非道なる原爆攻撃は(おびただ)しい無辜(むこ)(たみ)を一瞬にして殺傷し、街は灰燼と化しました。突然に絶たれた命、苦痛の最期(さいご)を遂げた命、これを思えば今なお滂沱(ぼうだ)の涙を(ぬぐ)うことも(かな)いません。辛くも生き延び、なおも心身の深い傷と、明日知れぬ恐怖に(おのの)かれた方々・・・。皆様はあの惨状(さんじょう)を、悲嘆(ひたん)と憎悪を、秩序整然たる態度で耐え忍び、希望に向かって手を携え復興に邁進(まいしん)されたのです。爾来(じらい)人々は渾身の努力を傾け、我が国は世界屈指の技術力を誇る主要な経済大国の地位を占め、私たちは平穏な日々を送れるようになりました。

ここに改めて深い鎮魂と感謝の心を捧げます。

しかし、平穏は破られました。3月11日の大地震(おおじしん)大津波(おおつなみ)は、営々として築かれてきた東北地方の多くの街を、故郷(ふるさと)を、一瞬のうちに喪失(そうしつ)させ、3万有余の犠牲者と50万人(よ)の避難民を生みました。名状(めいじょう)しがたい被災地の惨状は、あの当時の広島の姿と重なります。

遺体収容に当たった自衛隊や警察官は、「傷つき汚れた遺体を少しでもきれいにして家族に返したい」という想いを込めて、自分の家族を扱うように一体一体手で洗いました。

波に消え、離れ離れになった数多くの母と子、そして家族。天国で再び絆が結ばれんことを・・・。

被曝の危険を身に受けたハイパーレスキュー隊の働きは、放射能の放出を大きく抑制しました。

余震の中で避難に遅れた人の背中を押し、急がせ、自らは波に(の)まれた警察官がいました。避難を呼掛け続け、マイクを持ったまま命を絶たれた若い女性の姿は、中立条約を破った不法な軍事攻撃に(さら)されながら刻々と事態を知らせ、最後に「日本(にっぽん)の皆様さようなら」と打電して絶命した樺太(からふと)真岡(もおか)郵便局の女性を思い起こさせました。

避難した人々は、乏しい物資を分かち合い、助け合い、老幼を(いた)わり、整然と列を作って物資の分配を受けました。

 原爆の時、非常呼集されて救助に当たった軍人や警察官、医師と看護婦、公務員、自らも被災しながらわが身を(かえり)みず、力を振り絞って救援に参じた民間の人々と、今年の災害で家族を失っても、救助活動に挺身(ていしん)した『自衛隊、警察、消防、海上保安庁、国や自治体や民間の人々』の献身的努力、そして避難者たちの姿は、時を(へだ)てても変わらない日本人(にっぽんじん)の誇り高き不屈の精神の発露(はつろ)でした。

 66年前のあの時の皆様が、「秩序整然たる態度はわが国人(くにびと)(はん)とするに足る」と隣国から賞賛されたのと同じように、今の同胞達の冷静沈着、(りん)とした行動は、諸外国の人々を驚嘆(きょうたん)させました。灼熱(しゃくねつ)の原爆が皆様の心にまでは届かなかったように、凍える大波は同胞の心までは流せなかったのです。皆様の高き心は、時を経ても失われてはいませんでした。

あの当時を生きた皆様は、どの国の力も借りずに惨禍(さんか)に立ち向かわれたのでしたね。

私たちはこの震災で、百を超える諸国から救援を受けました。

原爆で全身に火傷(やけど)を負い、白い薬で塗り固められた少年が「アメリカの馬鹿(ばか)やろう」と言って死にました。そのアメリカが、今度は誰も真似のできない活動をしたのです。瓦礫に覆われた仙台空港を瞬くうちに修復して大型輸送機を飛ばし、各地に物資を届け、自衛隊の車両を運搬して、我が国の活動を根底から支えました。取り残された島に物資を運んだ艦艇では、艦長や将兵が、持てる私物を下着まで供出して被災者を救いました。彼ら無くして迅速な救援活動は危うかったのです。「トモダチ」作戦は、『くやしいけれど立派』でした。

少年よ許し給え。今、私たちはアメリカに「ありがとう」と言います。そして、諸国の人々よ、心からありがとう。

 しかし、一旦目を外に転じれば、東の津波とは無関係に、北の海にある我が大地に(か)の国の要人が踏み込み、西の海では隣国の艦船の撃沈と人々の暮らす島への突然の砲撃で緊張は高まりました。南の海では我が艦艇に漁船が突撃し、日本(にっぽん)の主権を(おか)す波がひたひたと迫っています。三つの波は、(い)まわしい核兵器を背景に、武威(ぶい)を押し立てた人為の波です。祖国は今、危機の中にあります。私たちは『四方(よも)の海に波風(なみかぜ)の立ち騒ぐ』ことを決して望みませんが、迫り来る国の微笑に幻惑された「核廃絶」の呼掛けだけでは、武威(ぶい)波頭(はとう)を押し留めることはできません。それは、さらに遠い南の海の現実をみれば明らかです。同胞よ、厳しい現実から目を(そ)らす(なか)れ。夢の言葉は今は(い)らない。祖国の平和と、自由と繁栄のために何をなすべきかを深く思考せよ。三度目の核の惨禍を防ぐ手段を備えよ。私たちは万国の法の認めるあらゆる実効的な努力と行動を続けることだけが、それを可能にすると信じます。

現政府の要路(ようろ)にある方々に求めます。南の海の真実を同胞に知らしめた人を罪人(つみびと)にする愚かさを(や)めて下さい。『(じょう)の激するままに事を(ね)じ曲げ、時局を乱し、内輪で争い、為に大道(だいどう)を誤り、信義を世界に失うことを自ら(いまし)め』て下さい。被災者の苦難の日々を分かち合い、雄々(おお)しく津波に立ち向かった者が希望を捨てることなく、放射線から逃れた人々が一日も早く故郷に戻れるように、遠い先の夢ではなく、今の現実を基にした実効的な政策を出して下さい。

それが出来ないのなら、すみやかに身を引くべきです。

最後に、ここに眠る皆様方にお願いします。災害で犠牲になった幾多(いくた)の魂を、勇気ある者として皆様方の仲間に入れて下さい。残った私たちは、皆様方が命をもって与えて下さった教訓を(かて)に、身をもって示された足跡(そくせき)を手本にして、再び祖国を復興させることを誓います。皆様方にまだ「安らかに」とは言えない我が身を恥じますが、「どうか見守って下さい。過ちは繰り返させませんから」

 

「平和と安全を求める被爆者たちの会」

 

 

 

 

沖宗広島市議への要請文

627日の広島市議会一般質問で沖宗正明議員(市政改革クラブ 安芸区)が「公民館にあってはならないものを見つけた。三たび広島の平和を疑うという講演会のチラシです」
「核武装論者の講演会チラシをわが広島の公民館におくとは何事か!」「いつ誰がいかなる理由で許可したのか」「前(秋葉)市長のときには絶対にありえなかった」そして、「要請文(以下に掲載)が届いた。圧力以外の何ものでもなかった。身の危険すら覚えた。空手を修行していて本当に良かった」などと発言されましたが、被爆者が被爆者健康手帳まで添えて訴えた要請だったことに触れられませんでした。

高齢の被爆者にはどうか「空手」を使われませんように。

要請文はこちらです。

 

 


医師からの投稿 医療現場を困惑させる被爆者

「原爆と関連のない疾患に罹病しても関連のある病気として病名を書いてほしい」と要求してくる・・・

当会に医師からの投稿がありました。承諾をいただいた上で公開させていただきます。この方は松井広島市長にこの内容を送られたそうです。(文意を変えずに掲載します) 手紙の内容はこちら

 

 

 


 

617日付の中国新聞に掲載された、被爆者援護に関する松井市長のご発言を拝見しました。多くの広島市民の暮らしを守る行政の責任者として、極めて勇気ある適切な発言と思い、心から敬意を表する次第です。


被爆者ならびにその家族、関係者の受けた苦しみ、悲しみの大きさは量り知れませんが、だからといって、その人たちは無尽蔵に補償や援護を受けることができる筈はありません。被害に遭ったが故の様々な手当は受け取りながら、自分たちもまた広島市民、あるいは県民として、さらには他の様々な戦争の惨禍を受けた国民とともに我が国の発展のために働く気持ちは失ってはならないと思います。


新聞記事では、「国家補償を求めているのであり援護は施しでない」と書かれてありました。確かに援護は施しではありませんが、国家補償はどこから来るのでしょうか? 誰が国家を支え、補償の基となる財源を生み出すのでしょう? 被爆者は、原爆の被害者であるとともに広島の発展を担う市民でもあります。援護は、被爆者がより良く生きるために必要なものです。市長の発言は、そのために少しでも良い暮らし、誇り高い生き方ができているという点にも目を向けようという意味と受け取ります。 


 広島では、今回の記事に見られる市長発言にも見られるように、「平和」と「被爆者」を相対的に捉えようとするだけでも激しく反発され、それ以上の議論と思考を停止せざるを得ない雰囲気が長く続いてきたと思います。 


 市長におかれましては、今回の一部の被爆関係団体の関係者や、その他にも寄せられるであろう反対意見に屈されることなく、今後もどうぞ客観的で多角的な発言が自由になされるように、市政の舵取りをよろしくお願いいたします。

 

 なお、この度の市長発言に抗議された、広島県被団協、「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会、宛に「公開意見書」を提出いたしました。(ページ上部よりリンク)

 

   

 

 

既存の被爆者団体とは違う、


新しい被爆者たちの会


「平和と安全を求める被爆者たちの会」 

 

設立されました!


そして、

「真の平和構築への活動」を

ここ広島からスタートします!

   

被爆者の方、二世三世の方、それ以外でも


趣旨にご賛同、ご協力いただける方、


地域を問わずどなたでも参加できます。

 


 この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日本会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。

 市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ることを知りました。

 ある決意を持った被爆関係者はまず、日本会議広島の人々に相談しました。

そしてそこにも多くの被爆関係者が集っていることを知りました。

その時より、協議を重ね、このたびこの会を発足する運びとなりました。

この会の設立にあたり、日本会議広島に多大なるご支援をいただいたことに心より感謝致します。

 今はまだ、資金的にも乏しく、活動拠点は日本会議広島の事務所に間借りする身ではありますが、かならずや、会員は拡大し、独立する日の近いことを感じます。

私達と日本会議広島とは必ずしも、すべてに意見や考えが共通するものではありませんが、共同、協調して共に発展していくことを希望してやみません。

 

              「平和と安全を求める被爆者たちの会」事務局

 

 

平成22年の出来事です。

 

動画: 差別的取り扱いが チャンネル桜 で取り上げられました。

なぜ差別と考えられるかは こちら をご覧下さい。

事務局 広島市安佐南区川内4-11-18 〒731-0102


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