平成29年 私たちの平和宣言

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平成29年 『私たちの平和宣言』

             平成2986日 広島

 

 あの夏の朝、瞬きのうちに、巨大な灼熱と暴風の塊が私達の故郷を飲み込みました。その時を、5千メートルの上空で一機の日本の戦闘機が体験していました。「広島の街並みを見た直後、突然の衝撃で機体は飛ばされた。必死に機体を立て直して地上を見たら・・街が無い!瓦礫しかない!」・・・と。幾万の同胞たちが街もろとも抹殺されていました。そして3日後の長崎もまた無残な姿になりました。

 あれから72年。私達から2つの大切な事実が忘れ去られようとしています。その一つは、原爆に先立ち10万人が犠牲になった東京大空襲の目標が、軍事施設ではなく「東京市街地」だと明記されていたことです。原爆も、全国各都市の空襲も、明記された通りに、普通の市街地が標的になり、“幾十万もの無辜の人々が折り重なる殺戮”の現場になりました。もう一つは、決して、かの国の前大統領が述べたような、「雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきた」のではなく、原爆という「死を落とした人の手」があったことです。逃げ惑う子供達にまで、低空から機銃掃射をした多数の敵戦闘機もまた、「死を落とした汚れた手」だったのです。「戦争は軍人と軍人の戦いだから原爆は戦争ではなく、非戦闘員を殺す虐殺」でしかありません。戦争中であっても、人々には日々の営みの場があり、そこは攻撃してはならないとする国と国との約束がありました。しかし、躊躇うことなく虐殺は実行されました。焦熱は人間を焼き尽くし、閃光は影だけを石に焼き付け、爆風は建物を壊してもろともに人を砕き、ガラスは無数の弾丸となって肉体に刺さり、死なずとも肌は焼け、あるいは溶け落ち、破片は肉に食い込みました。人間の想像したどんな地獄絵よりも残虐無比な惨状には、表現する言葉すらありません。私達はここに改めて、皆様の無念の最期を想い、魂の安らかならんことを祈ります。

 街は消え、遠くまで見渡せる音のない灰色の世界で、辛くも生き延びた人々は彷徨いました。死んだ子を背負う母や眼球が飛び出た人、黒焦げの負傷者を乗せたリアカー。爆心地から逃れ、黒く変色した人々の列は続きました。人々は無言で、前だけを向いて歩きました。しかし、その姿がいかに悲惨であっても、その歩みは、残された自らの力だけで踏み出した、明日に向かう偉大な一歩だったのだと思えてなりません。達者な者は救護に当たり、医師や看護師は懸命の治療を施し、犠牲者を探して助け、骸を荼毘に付し、動員学徒は不眠不休で電車を復旧させ、水道局の人々は破壊された浄水場のポンプを修理して被災者に水を届けました。長崎では必死の作業で鉄道線路が復旧され、一番列車が救助に向かいました。これらは皆、生き残った人々が死体と一緒に過ごした数日間の、色も音もない世界に蘇った復興の号砲でした。原爆は街と人の体を壊したけれど、心までは壊せませんでした。人々は再び生活を始め、手に入る物を商い、家を建て、驚異的な速さで廃墟は街に変わって行きました。私達の幼い記憶には、破壊された建物の鉄骨を修復する人々、道路を再建する人々、相協力して地域を整える隣近所の人々、そして子のために遊具を作る隣のおじさんやおばさんが居ました。それが私達の親や祖父母達の姿でした。現在の街が美しく整えられ、有機的に結合し、不足のない品物の数々を見るにつけ、あの時の皆様の懸命の努力に対して深い感動に満ちた感謝の気持ちが沸き上がります。本当にありがとうございました。そして私達は、皆様の偉大な成果を守り、発展させるべく今という時間を生きています。我が子を、我が故郷を、そして我が国を再び蹂躙させないことは、私達の大きな責務です。

今年、北朝鮮はミサイルと核兵器の威力を急速に向上させ、日本も無差別核攻撃の対象だと恫喝しました。中国は「核兵器は中華民族の尊厳」だと主張しています。さらに仲裁裁判所の裁定は紙くずだと罵って南シナ海の人工島を着々と要塞に変貌させ、周辺国や我が国を軍事的に威圧しています。

「核廃絶」をうたいあげれば危機は解消するでしょうか。オバマ前大統領は「あらゆる選択肢を排除しない」と警告しつつも、彼の「戦略的忍耐」は、北朝鮮の核開発を放任しました。「粘り強く対話し不正を糺す」政策は失敗しました。トランプ大統領はオバマ前大統領と同じく「全ての選択肢はテーブルにある」と言いつつ、日本海に艦隊を派遣しました。そして、艦隊のある間、北の暴発は一時的にせよ縮小しました。今年の7月、国連総会で「核兵器禁止条約」が採択されました。しかしながら、核保有国のどの一つとして条約に同意せず、同意した122ヶ国中の102ヶ国は北朝鮮と国交がある国々です。それらの国々が、これまで北朝鮮の核廃絶を実行させる力を発揮したことはなく、条約は加盟国だけを縛ります。条約を後押しした平和首長会議、そこに参加する核保有国の都市もまた、自国の核兵器を制限させたことはありません。この現実から、私達は条約に実効性はなく、歓迎もせず、日本の不参加は当然だと考えます。なぜなら、我が国は国民の平和と安全を守るため、核保有国との連携を含むあらゆる手立てを尽くして核兵器による惨禍を防ぐ立場を取る責務があるからです。「核廃絶」、私達はその美しき願望を否定はしません。しかし、我が国の現在は近隣諸国の核兵器抗争の只中にあり、「核兵器禁止条約」では目の前の危機を排除できません。かつて、いわゆる「被爆者代表」が日本国憲法の独特の解釈を根拠に首相に対して我が国の防衛政策の撤廃を要求しましたが、それが金正恩氏の行動を抑制したでしょうか? オバマ前大統領主導の「イランとの核合意」は、一定期間の核開発凍結など甘い合意だったので、専門家の予測通り、サウジが反発して湾岸諸国はイランとカタールとの断交に踏み切りました。性急な綺麗事外交が罠に嵌る実例です。日本の危機が現実になった今、核兵器にこだわるあまり、私達は反核平和主義を掲げて現実逃避の外野の観戦者となってはならず、国際法の認める抑止力の保持までも否定すべきではありません。安全無くして平和はない、厳しい国際政治の現実の中で、広島も、日本各地も、理不尽な攻撃を抑止する手段を備え、住民の安全を守る行政こそが最優先されるべきなのです。私達は、「反核平和」の矛盾を見据え、実効的な平和実現の道を求め、渾身の力で復興された偉大な先人の遺産を守る決意です。未来を託す子孫のために、そして「過ちを繰り返えさせないために」。

 

             「平和と安全を求める被爆者たちの会」

平成28年 私たちの平和宣言

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平成28年 『私たちの平和宣言』

                          平成28年8月6日 広島

  

 71年前の今日、雲一つない晴れた朝、1機の爆撃機が、広島市とそこに暮らす10万人以上の普通の人々に、瞬時の破壊と死をもたらしました。その3日後には長崎でも同じ悲劇が繰り返されました。灼熱の閃光と地を這う炎は、生き延びた人々にも一生消えぬ傷跡を残しました。後に首相になった鳩山一郎氏は終戦直後に、「正義は力なりを標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ないであろう」と昭和20年9月15日の新聞で訴えました。しかし米国の回答は、新聞の発行停止という、米国を批判する言論の封殺でした。

 

 71年後の今年5月27日に、オバマ合衆国大統領は「何故今、広島のここに来たのか?遠くない過去に使われた恐怖の力をじっくりと考えるためだ」と今更ながらに言われました。しかし、考えるまでもなく事実は一つしかありません。私達の先人は恐怖の力が使われた直後から、傷ついた身体を押して同胞助け合い、死者を弔い、言葉も及ばない程の並々ならぬ復興の努力を重ねて今日の広島を築き上げたのです。私達は先人への深い感謝と、犠牲者達への心からの追悼のためにここに居ます。私達は、謝罪する、しないということを問題にしているのではありません。オバマ氏には、貴方の国の大統領が遠くない過去に、重大な罪を犯したことだけを直視して、胸に刻んでいただきたい。これが私達の回答です。

 

 被爆後わずか3日で市内電車を走らせた動員学徒の不眠不休の努力は、惨禍を前に茫然と佇む人々に、いかに勇気を与えたことでしょう。保険会社は、被爆直後から凄惨極まる市内で、保険金の支払いを始めました。保険証券も、死亡証明書も無いのに、母印だけで請求通りの保険金が受け取れたのです。これがいかに人々に明日への糧と希望を与えたことでしょう。心身の傷がどんなに深くても、真面目で慎ましく、崇高な姿で立あがった皆様は、同胞手を携え、緑深き山と、清らかな川と、瀟洒な建物が見事に溶け合った街並を再建して下さいました。その心、創られたもの、すべてがかけがえのない贈り物だと胸に刻み、永遠に感謝し守り伝えることが、今を生きる私達の務めです。

 

 長崎には「焼き場に立つ少年」がいました。唇をきつく結び、幼い兄弟の亡骸を背負い、裸足のまま直立不動で焼き場の過酷な現実に堪え、やがて遺体が荼毘に付された後に一礼してその場を去りました。その写真を撮った米国人カメラマンは、後に故郷で写真展を開きました。訪れた人々の中に、この少年の姿を見て泣かぬ者はいませんでした。救護班の手当を受けて横たわった人々も次々と死んで行きました。しかし、その人々と並んで寝るのも恐れぬ忍耐を示した人々の精神は、核兵器でも焼き払うことはできなかったのです。

 

 現在、日本は、さらに強力な核兵器を持った国々に囲まれています。その数は増え、軍艦や飛行機は昔とは比較にならない破壊力を備えました。しかし当時9歳であった「原爆語り部」が、自分では見てもいない“日本軍の蛮行”を中学生に語っています。一部の被爆二世にはこれをそのまま続けようとする人もいるようです。いったいその人達には、現実世界で今の日本が受けている強烈な軍事的圧迫は見えないのでしょうか。目には映っても、憲法9条を枕に、核廃絶を子守歌にしていれば、日本は戦争と無縁でいられるとでもいうのでしょうか。刻々と、現実の危険は迫っています。

 

 核兵器を持つロシアはクリミア半島を奪い、シリアの民主勢力を爆撃しました。北朝鮮は、経済が破綻しているにも拘らず3種類の核ミサイルを開発して米国本土まで射程に入れました。核兵器をもつ中国は、日本の領空を防衛する戦闘機に一触即発の攻撃体制を取りました。日本の領海を3日と空けず侵犯し、遂には堂々と軍艦を繰り出しました。国際法を犯して他国の領域を埋め立て、7つもの偽の島を作り、「浮沈空母」としています。

 

 このような情況が、果たして話し合いで解決出来るでしょうか? 2010年9月、中国は尖閣諸島を自国の領海に組み込み込んだと発表し、2012年9月には「日本の公務船や自衛隊が魚釣島海域に入れば『侵入』になる」「外国の軍事船舶が魚釣島海域に入るには、中国政府の認可を得なければならず、東シナ海の境界線確定をめぐる日中間の話し合いの余地はなくなった」と言い放ちました。さらには南シナ海の領有を巡る国際仲裁裁判所の判決を「紙屑」と蔑み、島の造成を止めないと公言しました。全ての9条信者の皆さん! あなた達の妄言は6年以上も前に破綻しています。

 

 オバマ氏の広島演説は、人類の高みに立った美辞麗句で飾られていましたが真実もありました。「人類誕生で紛争が生まれた」「人類は製造物を人間攻撃に使った」「科学の発展は殺人マシンに転用された」「国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要がある」「核兵器のない世界を追求する勇気を持つべきだが、生きているうちには実現しない」・・これらの言葉は皆、今ある世界の現実を述べています。しかし、引退間際の大統領には何も約束はできません。プラハ演説とは異なり、そこには「同盟国を守る決意」はありませんでした。出迎えた4人の被爆者の方が大統領に抱擁され、涙した姿にある種心情的な共感は持てるとしても、このような感情の思い入れこそが、「反核・平和の失敗」の原因ではなかったでしょうか。抱擁の最中でも、オバマ大統領の手には「核のボタン」があったことを忘れてはなりません。

 

 私達はオバマ氏の語った「人類の真実」に共感します。氏は「これから起こる戦争」とまで言いました。これらの現実を直視して、自らを守る覚悟を固め、実効的な行動を重ねて行くことが今を生きる日本人の務めです。渾身の力で復興された先人のために、未来を託す子孫のために、そして「過ちを繰り返させないために」。

                              「平和と安全を求める被爆者たちの会」

 

  

 

Our Declaration for Lasting Peace in 2016

August 6, 2016, Hiroshima

 

On this day, seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, a nuclear warhead dropped by a US-bomber plunged Hiroshima city and its innocent people into destruction.  All of the city, along with far over one hundred thousand human lives, were destroyed in a split second.  After only 3-days, Nagasaki city also fell to same hair-raising fate.  Even the people, who fortunately survived this great catastrophe, were forever scarred physically and mentally by the burning flash of light and the engulfing flames, which proceeded them.  “America can not deny that their usage of the atomic bombs and their great many murders of innocent Japanese are war crimes, much more brutal than poisonous gas attacks or an attack on a hospital ship, because they assert that … Justice is their Power.” said Mr. Ichiro Hatoyama  to the Japanese press just after the Great East War on 15 September 1945.  He became the prime minister of Japan several years after the end of the war.  The U.S. occupation forces answered by the press ban to suppress any criticisms of the U.S.

 

This year on 27 March, as many as 71 years later, U.S. President Mr. Obama said, “Why do we come this place, to Hiroshima?  We come to ponder a terrible forces unleashed in a not so distant past.”  However you, Mr. Obama, need not ponder anything. The fact is one.  Just after a terrible force was unleashed, our predecessors saved themselves and others in cooperation and mourned and prayed for the victims in spite of injuries of themselves.  Today, Hiroshima city has been rebuilt completely by extraordinary efforts of them.  We are now here to offer our deepest gratitude to them.  We are also now here to mourn for all the indiscriminate bombing victims.  Now, we do not care whether Mr. Obama does or does not apologize for the casualties.  Mr. President, we just hope that you understand and remember the vast war crimes that two former US-presidents have done in not so distant past.  This is our answer.  Not a press ban!

 

Mobilized students worked without rest and sleep, and moved the tramcars only three days after bombing.  It is impossible to say how much the bewildering people in the horror were encouraged by seeing the moving tramcars.  Insurance payments started just after the bombing of the wholly destroyed city.  The casualties and their families were able to receive these benefits freely by only their claims and fingerprints without any identification or death certification.  These first steps taken by our predecessors undoubtedly gave the people hope and a staff of life for the future.  You, our parents, sibling and relatives, who were the most modest, honest and high-minded took actions to save them and collaborated in spite of your deep damage of mind, and completely rebuilt our city with a beautiful harmony of the green mountains, clear rivers and elegant buildings.  Your heart to act and all of your creations are the paramount presents for us, to be etched in our mind.  We are obliged to gratitude for you and protect your gifts forever.

 

In Nagasaki, there was a young man known as “a boy standing at the crematory”.  They said that the boy, with a dead little brother on his back, stood at attention with bear feet, closing tightly his lips, as if facing up to the hard facts.  After the cremation, he bowed once and disappeared.  An American cameraman who took the boy’s picture held the photo exhibition later in his home country.  Everyone could not avoid tears looking at the boy’s photograph.    The people who received treatments by the rescue team were laid and many of them died one after another.  However, the nuclear weapon could not burn down the spirits of people who could bear lying along with dead people.

 

Nowadays, Japan is surrounded by countries who possess more powerful nuclear weapons.  Both their numbers and powers are increasing.  The advancing destructive ability of warship, air fighters and so on are far more powerful than before.  A speaker of the atomic bombing experience talks to junior-high school students about so-called “atrocities” by the former Japan Forces.  However, the speaker could never experience them, because he was only 9 years old at the end of the war.  Some second-generation the atomic bomb victims are succeeding such a role to tell the same non-experienced story to younger generations.  Why on earth could these people not open their eyes to the real world that Japan is oppressed firmly by total military powers?  Do they believe that Japan should be free from the international struggles while they fall asleep using article 9 of the Constitution as a sound pillow and using “NO NUKE” as a lullaby?  Worldwide real perils are just now creeping upon us.

 

Russia, one of the countries permitted to possess nuclear weapons, robbed Ukraine of the Krym peninsula two years ago and recently executed an air-attack over the sphere of Syrian democratic people’s area. North-Korea, considered to have some nuclear weapons having their economy collapsed, succeeded in 3 types of ballistic missile shots recently.  As a result, even the U.S. have become within the effective range of their missiles. China-Beijing, another country permitted to possess nuclear weapons, has taken the offensive targeting to the fighter planes of our Japan Self Defense Forces (J.S.D.F).  They continue to violate the territorial waters of Japan almost every day.  Today, at last, their warships are cruising unlawfully inside of our territorial waters. They have been stealing foreign territorial sea zones.  They have reclaimed islands from the sunken reef and made “the fake islands” into unsinkable aircraft carriers, in violation of international treaties. Today, seven of these “fake islands” have already been made over the South China Sea.

 

Can we overcome these troubles by negotiation only?  China-Beijing announced one-sidedly in September 2010 that Senkaku islands, which obviously belong to Japan, are included in their own territory.  In September 2012, they announced a high-handed assertion that “If Japanese official ships or J.S.D.F enter the sea area around Chogyo (Japanese; Uoturi) island, these acts constitutes the invasion.”, and “In case the foreign military ships enter the sea area around Chogyo island, they must accept China Governmental permission.” “There has been no room for discussion about the border in the East China Sea between China and Japan.” The Chinese government disputed the recent judgements by the International Arbitration Court about the procession in the South China Sea as wastepaper. Moreover, they declared that they do not cease to reclaim islands from sunken reef.  To all followers of “the article 9”!  Your thoughtless remarks had led to failure more than 6 years ago.

 

Mr. Obama’s Hiroshima speech strung together all sorts of flowery words from the viewpoint of high human morality.  However, we also find the humanity’s real truth in his speech: “Violent conflict appeared with the very first man.” “Used these tools not just for hunting, but against their own kind.” “Science allows us to -----. But those same discoveries can be turned into ever-more efficient killing machines.” “We may not be able to eliminate man’s capability to do evil, so nations --- and the alliances that we’ve formed --- must possess the means to defend ourselves.” “But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear, and pursue a world without them.  We may not realize this goal in my life.”  He never lost a realistic human truth.  However, the president just before retiring can not promise anything.  A serious paragraph in Czech-Prague speech have vanished in Hiroshima speech: “Make no mistakes: As long as these weapons exist, we will maintain a safe, secure and effective arsenal to deter any adversaries, and guarantee that defense to our allies.” Four “Hibakusha” greeting Mr. Obama were tenderly embraced by him and dropped tears from their eyes. Although the scene might bring sympathy to not a few people. These emotions have been the cause of failure by “No Nuke or Peace”.  All people must not forget the fact that the button launching nuclear missiles remained in Mr. Obama’s hands even when he was hugging the four persons.

 

We do react to humanity’s real truth in his speech.  He referred to “the wars that would follow” as well as “that terrible war, and the wars that came before”.  Considering these truths, we must possess the means to defend ourselves and must take the necessary actions to do so.  These are our primary obligations to the Japanese.  For our parents, sibling and relatives who have reconstructed Japan with all their might; for our posterity to whom we entrust the future of Japan, we must ever prevent such an illegal atrocious error!

 

The society structured by survivors of the atomic bombs and their relatives to seek peace and security”

 

 

平成27年 私たちの平和宣言

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英語版です。
Our Declaration for Lasting Peace in 201
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平成27年 『 私たちの平和宣言 ~占領後63年間の虚構を見据えて』

                                                                 平成27年8月6日 広島


 一瞬の熱線と爆風で斃された広島と長崎20数万の命、それに先立つ焼夷弾の火炎で一夜にして断たれた東京10万余の命、日本各地の空爆で殺害された幾10万の命。昭和20年8月に至る半年あまりの絨毯爆撃は、まさしく空前の戦争犯罪でした。その悪魔の所業から70年。二つの原爆から生き延びても、被災者は苦痛と恐怖に苛まれ続けました。不法な攻撃に晒された人々の心から、私たちの父母兄弟達の気持ちから、非難と嘆き、恨みと屈辱が消えることはないでしょう。

 

 井伏鱒二は、当時の広島を『空鞘町あたりにくると火焔が街を一舐めにしたことがわかる。上半身だけ白骨になったもの、片手片足以外は白骨になったもの、・・・・千差万別の死体が散乱して異様な臭気を発している』1)と書きました。長崎では、『あるいは死にあるいは生死の境をさ迷いながらうめき苦しむ多くの人々、達者な者は重傷者の看護に一生懸命立ち働いている。780余人のうち達者な者も150人以上はいたのだが、10日ぐらい経ったころにはばたばたと死んで行き完全に生き残った者は20人ぐらいに過ぎなかった』2)と記録されています。その場を共にした皆様は、「あの醜悪な情景は、攻撃者が醜悪だった表れだ」と認識しておられたのです。『人々は阿鼻叫喚の気配を押さえ、死骸と並んで寝ることも恐れぬ忍耐と、極度の慎ましさ』3)を示しながらも、死にゆく人は「兵隊さん仇を取って下さい」と末期の言葉を残したのです。しかし9ヶ月後の長崎は、『立ち並ぶ復興住宅、人々で賑わう市場、倒壊した天主堂、頭に包帯を巻いて無心に遊ぶ少女の姿もある』4)と報道されています。皆様は、地獄絵の渦中にあって互いを助け、不屈の精神を持ち、秩序整然として、わずかな期間で復興の基礎を拓かれたのです。今日の繁栄を享受している私たちは、ここに皆様の思いと、艱難辛苦を胸に刻み、頭を垂れ、改めて深い感謝と心からの慰霊の誠を捧げます。本当にありがとうございました。

 

 しかし、日本が言論の自由を奪われた7年間の占領で、戦争犯罪の真実は隠され、犠牲者の心の叫びは封じられ、開戦から原爆投下、敗戦までの真実は勝利者だけの正義の物語に置き換えられて行きました。非道な犯罪を隠滅して、日本だけを断罪しました。それから63年、世の中には「戦争を風化させるな!」の声が溢れています。しかし、戦争の真実とは何だったのでしょう?戦後70年とは、私達にとって本当に節目の年なのでしょうか?

 

 昭和19年、英国の大臣は『米国が戦争に追い込まれたというのは甚だしい歴史歪曲である。米国があまりにひどく日本を挑発したので日本軍は真珠湾で米国をやむを得ず攻撃したのである』5)と述べました。開戦時に米国下院議員だったある人は『ルーズベルト大統領とコーデルハル国務長官は、日本に意図的最後通牒を送った。』6)と述べています。彼はまた、「日本には、自殺するか、降伏するか、戦うかの選択しかなかった。米国政権の戦争推進派は、日本軍の攻撃を知りながら真珠湾に警告しなかった事実が漏れると、対日最後通牒を始めとした種々の事実を隠すための大規模な作業を行った」6)とも記しています。大西洋横断飛行で知られるリンドバーグは、『12月8日;日本の奇襲攻撃は別に驚くに当たらぬ。我々は何週間にもわたり、彼らを戦争に駆り立てていたのだから』7)と日記に記しています。米国が「真珠湾の前から裏口からの参戦」をしていたことは、既に広く知られています。

 

 清国末期のアジア大陸は、日本を含めた列強諸国の勢力拡大行動が交錯し、遅れて来た米国は「門戸開放・機会均等」を旗印にして、勢力争いに割り込んできたのです。特に、清国発祥の地である満州は「世界に類例のない極度に複雑な問題がある」8)といわれた地域でした。米国は、日露戦争後にロシアの利権を引き継いだ日本の南満州鉄道に露骨な食指を伸ばしましたが、交渉は決裂。これが日米の大戦の遠因となって行きました。第二次大戦中のポツダムの会談では、『トルーマンは成功確実になるまで核開発を進めてソ連抜きで日本を降伏させようと考え、チャーチルは早く原爆を使って欧州中心部へのソ連の進撃を阻止しようと思い、ソ連は漁夫の利を得るために米英が力を消耗してから参戦するつもりでした。結局米英は、ソ連勢力を阻止するために、日本を原爆の犠牲にした』9)のです。政治の延長としての戦争は、当事国が平和時以上に外交駆け引きを展開します。英国はドイツのポーランド侵攻を理由に参戦しながら、不利になったら米国に助けを求めました。一方、ルーズベルト米国大

統領は、「参戦しない」公約で当選していたので中立国の義務を放棄し、秘密裡に国民党を軍事支援して日本に先制攻撃をさせる策略を実行しました。これが先の大戦の姿です。ドイツと協定してポーランドを抹殺したソ連と妥協した英国も、分け前をぶら下げてソ連に日本との中立破棄を誘った米国も、その餌に食いついたソ連も、国家として普通の不誠実さがあっただけです。日本占領直後から、マッカーサーは一人の日本人も、一人の憲法学者も入れない配下の私的チームで「即席憲法案」を作りました。それはGHQの意のままに日本官僚により訳されました。そしてその占領軍は、この憲法施行後に「交戦権の否定」を無視して日本人を朝鮮戦争に出撃させ、「言論・出版の自由」「検閲の禁止」「通信の秘密」も無視して、報道・出版の統制と検閲、私信の開封を行いました。「遡及処罰の禁止」は、東京、横浜裁判で完全に踏みにじられました。勝利者の正義の物語を広めたのも、日本だけを裁いたのも、この自ら作った憲法を破壊して行われたのです。この憲法は、最初から虚偽にまみれています。現代の東欧や東アジアの海などの国際秩序破壊への危険に対処する法案を、かくも汚れた憲法に違反

する、というだけで、我が国の行くべき道は言わない憲法学者は、不誠実を通り越して滑稽です。「被爆者代表」を僭称する人が首相に対して集団的自衛権を非難すれば中国は横暴な秩序破壊を止めるでしょうか?原爆が戦争を終わらせたから“被爆者に感謝しろ”という「はだしのゲン」は、明らかに日本各地の爆撃死者を冒涜しています。私たちは、63年間の勝利者の物語に幻惑されて、古文書と化した憲法に囚われた「反核平和70年の失敗」を克服しなければなりません。私たちの平和は先輩達との心の絆を回復し、国際政治のリアリズムをしっかり見据えて、独立国の名誉に賭けて自らを守る体制と覚悟を持つことに尽きるのです。過ちを繰り返させないために。

 

                                「平和と安全を求める被爆者たちの会」 

 

 


引用文献一覧

1) 「黒い雨」井伏鱒二 新潮文庫

2) 「坂本町民原子爆弾殉難の碑のご案内」 平成18年8月坂本町山王自治会(長崎市)

3) 「海底のやうな光-原子爆弾の空襲に遭って」大田洋子 朝日新聞 昭和20年8月30日

4) 「原爆復興の長崎 息吹伝える;戦後70年記憶の中に」産経新聞 平成27年6月17日

5) 「忘れたことと 忘れさせられたこと」江藤淳 文春文庫

6) 「日米開戦の悲劇」ハミルトン・フィッシュ、岡崎久彦監訳 PHP文庫

7) 「リンドバーグ 第二次世界大戦日記」新庄哲夫訳 新潮社版

8) 「全文 リットン報告書」原文付属;渡部昇一 株式会社ビジネス社

9) 「HIROSHIMA NAGASAKI the real story of the Atomic bombings and t heir aftermath」

PAUL HAM transworldbooks.co. UK

 


――― 平成27年 私たちの平和宣言 ――― に関する補遺

 

 今年の報道は「節目の戦後70年」が強調されているが私たちはその視点に違和感がある。占領軍が歴史の軸心を力で歪ませた7年間を単純合計した年数だからである。歪んだ軸に接ぎ木されての63年後が今年だと自覚すれば、幾分かは目の鱗は落ちる。よって今年は報道に流されないために、宣言文の含意をすこし掘りさげ記述して補遺とすることにした。

 

 近現代史は、確定させる程にはまだ「枯れて」いないから、歪んだまま枯れる前に軸を正さねばならない。進行中の安全保障法制で憲法違反と反対する論者は歴史が確定的に「枯れた」と信じて異見を受け入れない不思議な「民主主義者」のように見える。私たちはこの方面からは侮蔑的に「歴史修正主義」と呼ばれる。しかし、昨年8月の朝日新聞記事取り消しのように通念は修正される。昭和30年代始めの千田夏光氏の新造語に始まる「従軍慰安婦物語」は通用しなくなった。歴史の軸をまっすぐに矯正するために私たちは今後も誇りをもって「歴史修正主義」を続ける。

 

1. 私たちの立場

 私たちは、近代国家成立以降の我が国の諸行為のすべてが理に適った正当なものだ、という立場には立たない。と同時に諸外国に対しても公平に同じ対応を取る。すべての国家は相応の不誠実さを備えているのである。そして、それこそが国家関係を円滑にし、対立を極限に至る前に緩和し平衡を保ってきた面がある。一つの事例は“外交官に対して、受け入れ国はいつでも理由を示さずに追放することができる<ペルソナノングラータ>”(外交関係におけるウィーン条約)に顕れる。個人間では不可解な規定だろうが、理由を明示すべきだったら、国家の名誉は棄損され極限事態に陥るかも知れない。「理由は貴国の胸に聞け」あるいは「我が国のシグナルを見よ」の婉曲表現である。国家がそれなりに不誠実であることは歴史に揉まれた深い意味がある。ただし成熟した国家同士の洗練された手法であり、覇権争いでは騙し合いに繋がる。

 

2. 日本の悪魔化

 先の大戦後の占領政策で日本は100%の悪になった。歴史でそんなことはあり得ないが、今日まで多くの日本人は信じている。しかしそれはパズルの重要なピースを変形した、「だまし絵」である。だから私たちは専門家達と共に、我が国の弁護を続けなければならない。日本人だから。

 

3. 原爆犠牲者とその他の爆撃犠牲者、そして「はだしのゲン」

 日米戦の初期に連戦連敗の米国は志氣高揚のため、1942年、米空母から爆撃機B25、16機を発艦させ東京、名古屋、神戸などを無差別空襲して国民党の米空軍基地(シェーンノート部隊)に着陸した。これが日本空襲の始めである。これは後に比較して小規模だが、沖縄戦に先立つ1945年3月、334機からなるB29大型爆撃機は東京の住民地区を焼夷弾爆撃し、一夜で10万余を殺害した大規模攻撃である。酸欠に依るものだという。使用焼夷弾は日本家屋を効果的に燃焼させるべく開発されたものである。以後、民間人を標的にした主な空襲だけでも大阪、関東、京浜、横浜、名古屋、再度の東京、呉、神戸、福岡、富山……意外だが京都5回。それぞれB29、100~250機余の規模で縦横無尽の殺戮が繰り返された。既に、降伏講和の申し出のある中での攻撃が続いた。原爆攻撃が不要だったのは、後のアイゼンハワー大統領も明言した通りである。しかし、原爆投下まで戦争を引きずったのはトルーマンの対ソ思惑な

のは明らかになってきた。そうであっても、原爆だけを特別視するのは公正か?それを戦争一般の「倫理問題」に矮小化した責任は占領政策に幻惑された日本にあり、反核団体同士の抗争にもある。被爆犠牲者の無念は切々と胸を割く。だが他の爆撃犠牲者の無念も同じなのだ。「はだしのゲン」が少年雑誌に排除され共産党と日教組の雑誌が掲載を継続して以降、「日本人は被爆者に感謝しろ!原爆のお蔭で戦争狂の天皇や資本家は命が惜しくてポツダム宣言で戦争をやめた」と書く書物は祖国と爆撃犠牲者を踏みにじっている。これを「平和教育書」とする限り、歴史軸の歪みは戻らないし「平和」も泣く。

 

4. 平和と安全について

 安全保障を否定する現憲法は、日本を自殺へ導く可能性を持っている。これを「平和憲法」と呼び、浅薄な“キレイゴト”の「戦争の愚かさ、平和の尊さ」を鐘太鼓で囃しても、仲間内での一時の興奮以外には世界が唱和することはない。私たちはこの異質で異常な憲法を戴けば、世界がひれ伏すと考えるほど「大国主義」ではない。ハミルトン・フィッシュは前掲書で『ルーズベルトが「真珠湾攻撃が恥ずべき行いの日」と呼ぶのならば、ハルノートは「恥ずべき最後通牒」と呼ぶのが適切だ』と述べている。中国が今も清国時代同様の「元来清国政府と事を商定するは、かつて英行使サー・ハリー・パアクスが比喩したる如く無底の釣瓶を以て井水を汲むが如く何時もその効なく・・」(蹇蹇録<けんけんろく> 陸奥宗光著 岩波文庫)の性質が続いているのは、最近の行動からもわかる。今後も日本の「憲法平和主義」の欺瞞がわかる事実が出てくるだろう。だから私たちはそれらを観察し、各国それなりの不誠実さと行動を常にチ

ェックし、勢力バランスを保つ不断の努力をする方策以外の「他策なかりしを信ぜんと欲す」(前掲書)るのであって、それだけが将来の可能性に繋がるのである。

Our Declaration for Lasting Peace in 2015

; Staring at the utopian story of 63 years after the end of Occupied Japan

August 6, 2015, Hiroshima

 

More than 200,000 vivid lives were thrown into the death in a split second. The intentional nuclear attack brought the solar-like super high heat wave and the gigantic blast beyond description to this massacre at Hiroshima and Nagasaki cities. Preceding this disaster more than 100,000 people running around to escape died in only one night through the flames caused by great many large incendiary cylinders dropped in Tokyo residential areas by many US-Bombers. More than several 100,000 lives were lost to other continual air-raids all over the Japanese cities. (Have a moment of silence please!) The atomic bombings and such carpet bombings constituted war crimes undoubtedly, breaking international law which was committed on innocent Japanese non-combatants mainly in merely half a year till August, 1945. Even 70 years after, those people who have survived from such a heinous atrocities by the two Atomic Bombings are unable to escape from anguish and fear in their bodies and emotions until now. Our fathers, mothers, brothers and sisters could not, the people who were exposed to unlawful attacks could not, have removed from the bottom of their heart; the criticism, resentment, mortification and humiliation experienced at that time.

The late Masuji Ibuse, the novelist described the scene when Hiroshima collapsed and fell into ashes. “Around Sorazaya-cho, they found the fire blaze licked these district. Various shapes of dead bodies were scattered. Upper parts of the body had burned into bone. Only one hand and one leg are left in its own shape barely and the remainder is skeleton. The surroundings filled with awful stench emitted from these human’s bodies everywhere.”1) In Nagasaki, a record shows “some are dying, some just between life and death are groaning in pain, and strong ones are attending casualties very enthusiastically. Among 780 people, more than 150 people were in fairly good condition at first, but in the next 10 days, people started dying one after another and finally, just about 20 people survived.”2) The people who experienced the same ordeal understood that this horrible landscape was the mirror of the heinous action of the attackers themselves. Under this extreme circumstance, while “people endured shrieking  in agony and scariest hell of sleeping alongside corpses in the utmost humble manner,”3) people ascending to heaven left a cry of “please do retaliate… Mr. Soldier,” a voice from their very final state of mind. But just 9 month later, a report said in Nagasaki “we can see now numbers of reconstructed housings, busy market with many people, wrecked cathedral, and a girl with bandage on her head.”4)  You helped each other under that Hell, kept your dignified and indomitable spirit, acted in the manner of orderly deeds and then opened up the base for reconstruction in such a short time. We shall express our sincere gratitude and pay our deepest respect to you. We are now blessed with the prosperity as your posterity.  We will engrave in our mind your volition and thorny path and tribulations firmly. And we hereby politely bow our heads and say “We thank you from the bottom of our hearts.”

But now, there are the facts that we do not have to forget. Seven years of our occupied period which removed the freedom of speech in Japan hid the true story of the war crimes. The shouts from the spirit of the victims have been silenced. And all the truth from the war’s outbreak, then the Atomic Bombings and to our defeat, had turned into just stories made up by the occupation forces themselves. They kept hiding their crime of inhumane actions, but only accused Japan. 63 years since the end of occupation, a phrase “Do not let the war memory be gone!” is now heard everywhere in Japan. What exactly was the truth about the war? Can we really say that the 70th year after the war is our own anniversary?

In 1944, an English Ministry statement noted “The general perceptions are that the U.S. was forced into the War but this is an extremely false representation of history. The U.S. have provoked Japan into the war extreme harshly, which led Japan to have no choice but to attack Pearl Harbor.”5) A man who was a U.S. Representative at the time of the war’s start had published about his experiences in the political world later saying that “President Roosevelt and Secretary of State Cordell Hull issued an ultimatum secretly to Japan with clear intention.”6) He then added “Japan only got to choose either one from suicide of the states, surrender, or to start the war. When the facts began to leak out that the U.S. Government did not warn the garrison of Pearl Harbor even though they received advanced information on the attack, pro-war faction members in the Roosevelt administration started drastic actions to conceal various facts including such an ultimatum.”6) Charles Augustus Lindbergh who is famous for his transatlantic flight wrote in his diary “December 8th; the Japanese surprise attack should not surprise me, because we Americans had actually been instigating Japan to start the war for many weeks.”7) *1  It is widely known that the U.S. had already “entered the war from the backdoor before Pearl Harbor” after all.

The Asian Continent at the last stage of the Qing Dynasty was the territorial competitive target of the great world powers including Japan. The U.S, which was lagging behind, later jumped into the race under the slogan of “Open Door and Equal Opportunity Policy.” In those days Manchuria, the birthplace of the Qing Dynasty, was a well known area in the report presented to the League of Nations as “there are many features without an exact parallel in other parts of the world.____ They are, on the contrary, exceedingly complicated, and only an intimate knowledge of all the facts, as well as of their historical background, should entitle anyone to express a definite opinion upon them.” 8) The U.S. tried to initiate a blatant advance to The South Manchuria Railway, the company which Japan took over from Russia after the Russo-Japanese War, but the negotiation between Japan and the U.S. broke down. And that became one of the underlying causes for the Great War between Japan and the U.S. later. At the Conference in Potsdam during WWII, “Truman intended to make Japanese surrender without any support from the Soviet Union by developing nuclear weapons to a successful level; Churchill intended to stop Soviet Union’s advance to the middle of Europe by hastening the Atomic Bomb drop; Soviet Union intended to join the war to obtain profit while the U.S. and U.K.’s interest started to wane at the later stage of the war…”9)*2  All these facts suggest that the U.S. and U.K just tried to protect themselves from the Soviet Union’s advancement at the expense of Japan with the Atomic Bomb.” The war demand more serious political tactics for the countries involved than during the ordinary times. The U.K. made a war declaration to Germany against its advance into Poland, but started to ask for help from the U.S. when the situation became tougher withdrawing from Europe’s main land and leaving Poland as it were. In spite of President Roosevelt promise to stay out of war which was a main factor in order to be elected as The U.S. President successfully, he actually supplied military assistance to the Chinese Nationalist Party by abandoning the pledge to be a neutral power, with covert tactics to instigate the Japanese to start a preemptive attack. This is the true picture of the Great War, U.K. shook hands with the Soviet Union which had terminated the existence of Poland by making an agreement with Germany; the U.S. lured the Soviet Union to break its nonaggression pact with Japan by dangling dividends in front of its eyes; the Soviet Union took this bait; these are just the scenes showed that the almost all the usual nations possess their own dishonesties.

After the Occupation of Japan, the Supreme Commander MacArthur soon formed a working group including no Japanese and no constitutional experts to produce an “impromptu Constitution draft” under his supervision. It was then translated by American staff and Japanese bureaucrats who were bound to the GHQ’s intention. And the Occupation Army dispatched Japanese former soldiers to the Korean War ignoring “Un-recognition of the right of belligerency of the state” after the enforcement of this Constitution. The clauses of “Freedom of speech, press and all other expression,” “No censorship shall be maintained,” and “The secrecy of any means of communications” were all ignored and the GHQ initiated strict control and censorship of all the press and publication, and private letters were opened. The stipulation of “No person shall be held criminally liable for an act which was lawful at the time it was committed” was also completely crushed at the Tokyo and Yokohama Trials. Spreading a utopian story of justice by winners, Japanese and none of  the ‘Allied Forces’ members were judged for war crimes… they were executed along with an overriding the Constitution which was invented by winners. This Constitution still working and the current Construction could be described as filled with falsehoods from the beginning. Therefore, it is beyond being dishonest and rather comical for the constitutional scholars who only repeat the word unconstitutional (Constitution itself is deformed) about a bill aiming to deal with the dangerous situation towards destruction of international order continuing in Eastern Europe and waters in East Asia, and instead propose utterly no suggestions what path our country should take. Do you really expect China to stop their aggressive distortion of the international order if the falsely self-proclaimed “Atomic Bomb Survivors Represents” voice against the inherent right of collective self-defense to the Prime Minister? The comic magazines as an effective educational book of peace “Barefoot Gen,” who encourages people to worship Atomic Bomb victims because that Atomic Bomb ended the war is an obvious insult to the bomb-shell victims all over Japan. We must now overcome the “Failure of 70 years of anti-nuclear peace activities” which is the result of both the 63-year dazzle from the unilateral story created by the victors, and antiquated Constitution which has bound the people’s mind still now. Our peace is achieved only when we recover the mental connection with our ancestors, square with the reality happening in the international politics, and be determination to establish a system and the resolution in order to protect ourselves upon our honor as an independent country. And to prevent ever repeating such an illegal error!

 

“The society structured by survivors of A-bomb and relatives to seek peace and security”

http://www.realpas.com/ 

 

 

 

 

 

Quotations

1)    “The black rain” Masuji Ibuse  Shinchou Library

2)    “Monument information of the victims by the Atomic Bomb in the Sakamoto town residents”  August 2006 San-nou neighborhood self-governing body Sakamoto-town Nagasaki-city

3)    “The light like bottom of the sea---encountered the air-raid by Atomic Bomb”

Yoko Ohta  Asahi newspaper  30 August 1945

4)    “Reconstruction in Nagasaki from the Atomic Bomb; Memory in mind 70 years after the end of War”   Sankei newspaper   17 June 2015

5)    “Things to have forgotten and enforced to have forgotten”  Jun Eto  Bunshun- Library

6)    “Tragic Deception”  Hamilton Fish  PHP- Library

7)    “Lindbergh Diary in WWII”  Charles Augustus Lindbergh; translated by Tetsuo Shinjo

Shinchou Company

*1  This expression is translated from Japanese, and so it will be possibly deferent from those of the original .

8)    “the Report of The Commission on Enquiry”  Business Company

9)    “HIROSHIMA NAGASAKI the real story of the Atomic bombings and their aftermath”

PAUL HAM transworldbooks.co. UK

*2  This expression is summarized the long original sentence.

 

 

 

平成26年 私たちの平和宣言

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      平成26年 『私たちの平和宣言』

                                  平成26年8月6日 広島

 

 忘れもしない原爆攻撃から69年。二個の原爆は、一瞬にして10万以上の無辜(むこ)の人々を殺戮(さつりく)し、灼熱(しゃくねつ)の嵐の後には、茫々(ぼうぼう)たる焦土と、夥(おびただ)しい数の犠牲者が残されました。その極限の惨禍(さんか)にあってなお、生ある人は互いに救護し、励まし、死に臨む人には末期(まつご)の水を与え、看取(みと)り、そして骸(むくろ)となった同胞を野辺(のべ)に弔(とむら)いました。攻撃を免(まぬか)れた人々は手段を尽くして焦土に赴(おもむ)き、犠牲者を救助しました。皆様の秩序整然たる態度、身を挺(てい)して為された無数の行為に顕(あらわ)れた、気高(けだか)くそして不屈の精神は、私達の大きな誇りです。歳月は皆様の大部分を彼岸(ひがん)の彼方(かなた)に旅立たせたとはいえ、万骨(ばんこつ)の発する慟哭(どうこく)と、努力の足跡と、達成の誇りは、今なお私達の心に響き、胸は張り裂けます。私たちは、静かに頭(こうべ)を垂(た)れ、限りない鎮魂と感謝の念をここに捧げます。

 

 現在、米国は自国外での活動を大幅に縮小し、世界各地で果てしない紛争が増加しています。シリアでは悲惨な内戦が続き、イラクは国内の対立で国家崩壊の瀬戸際(せとぎわ)にあります。ロシアのクリミア半島併合と、続くウクライナの内戦は、ロシアからの天然ガス供給に依存する欧州から事実上容認され、ウクライナに依存するインドの防衛力整備が遅延するためにインド洋を不安定化させ、我が国にとって間接的脅威となっています。イランの核兵器開発問題は、米国・欧州と中国・ロシアが対立して、核を容認するかホルムズ海峡を封鎖させるかの選択を迫られ、我が国にとっては直接的な脅威です。そしてアジアでは、中国が南シナ海周辺国に軍事力を駆使(くし)して横暴な覇権(はけん)拡大を進め、我が国の尖閣諸島への挑発は激化の一途です。北朝鮮のミサイル、核兵器開発もまた然りです。今や、世界の平和と安全を保ってきた微妙なバランスは崩れ去り、安保理常任理事国自身が国連で果たすべき責任を忘れて自国のことのみに専念する世界が現出しています。

 

 戦後、私達が戴(いただ)いてきた日本国憲法に書かれた「平和を愛する諸国民の公正と信義」や「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならい」という理想はどうなったのでしょう。実は、私達が理想と掲(かか)げてきた平和主義とは、当初より戦後我が国を占領した軍司令官が極秘に発した虚構の産物であったことが、歴史資料により明らかになっています。日本国憲法が作成される前、占領軍司令官が日本に対してだけ発した極秘指示文書には、「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高(すうこう)な理想に委ねる」とあり、この指示はほぼそのまま日本国憲法に組み込まれました。しかし、当の戦勝諸国は戦後すぐに戦前の勢力圏を回復させるべく軍事力を行使しています。フランス、オランダは東南アジアの、英国は世界各地の旧植民地を、ソ連はポーランドとフィンランドの領土を、米国は太平洋諸島を手中にするべく行動しました。また、占領軍司令官は大戦当時には存在しなかった罪を東京裁判の直前になって制定し、連合軍の犯したあらゆる犯罪行為を不問(ふもん)にして、日本人だけを断罪しました。戦犯リストの作成を命じられたGHQ幕僚のソープ准将ですら、その裁判は「戦争を国策の手段とした罪は戦後に作られたものであり、偽善的なリンチ裁判用の事後法だ」と述懐(じゅっかい)するほどでした。そして、占領軍司令官であったマッカーサーもまた、Their purpose, therefor, in going to war was largely dictated by security.(したがって、彼らが戦争に向かった目的は、大部分が安全保障のためであった。)と米国議会で証言しています。

 

 私達は、戦後長い間平和と繁栄を享受(きょうじゅ)してきました。しかしこのまま日本だけが罪をかぶせられ、その判決を鵜呑(うの)みにしたまま国際社会の現実から目を背(そむ)け続けて現実性のない「盲目(もうもく)の平和(へいわ)主義(しゅぎ)」を戴(いただ)き続けることは、戦禍に倒れ、廃墟を復興させた先人の皆様の努力の成果を崩壊させるものといわざるを得ません。米国は、沖縄戦の直後から日本が降伏の意志を伝えていたにも関わらず、原爆攻撃を実施しました。東京大空襲では、一夜にして原爆を上回る数の人々を斃(たお)しました。そして原爆も東京大空襲も、非戦闘員に対する無差別攻撃という点で明確な国際法違反です。国際的には、戦争といえども、国際人道法という時間をかけて積み上げられた国際法のルールに拘束されます。東京大空襲の指揮官は、自分が戦争犯罪人だと自覚していました。平和教育に祀り上げられた「はだしのゲン」は、断罪する相手を間違っています。さらには、米国は真珠湾攻撃より5ヵ月も前に日本本土爆撃を計画・承認したこと、日本は原爆投下より前に降伏意志を示したことを無視して、戦争の実態を歪めています。そこには、被爆者だけを特別視して国家を否定し、原爆以外の犠牲者を貶(おとし)めんとする「選民(せんみん)思想(しそう)」すら透けて見えます。

 

 憲法がいかに「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と宣言しても、国際法は国内法に優先するため、各国の行動を規制することは出来ません。そして国際法は、交戦権を含めて各国主権の至高価値を認めています。さらに、世界各地で自国の安全と繁栄を守るためにあらゆる努力が続けられています。そもそも国家間の争いと戦争は、核兵器の登場以前から続いており、たとえ核兵器がなくなることがあっても世界から国家間の対立や争いがなくなることはないでしょう。私たちは、「記憶を風化させるな」と言うことばで被爆者だけを平和の殉教者(じゅんきょうしゃ)に仕立て、また、他者に補償を求めるだけの存在となることを拒絶します。他(ひ)人任(とまか)せの「核兵器廃絶」を唱えるよりも、世界の現実と国際法の規定に目を開きます。風化させてはならないのは、一般市民の無差別(むさべつ)殺戮(さつりく)、そして被爆直後の死に臨む犠牲者達が発した「兵隊さん仇を討って」「アメリカのばかやろう」などの末期(まつご)の心情です。誰を恨(うら)むでもなく、黙々と都市と国家の再建を果たした人々の足跡(そくせき)です。祖国の安全無くして独立は無く、独立無くして平和もありません。私達は、我が国と私達の子孫のために、「盲目(もうもく)の平和(へいわ)主義(しゅぎ)」の虚構(きょこう)を克(こく)服(ふく)し、もって我が国が、真に永続的平和と安全確保に向かうよう努力することを誓います。

過ちを繰り返えさせないために。

             「平和と安全を求める被爆者たちの会」

 

平成25年 私たちの平和宣言

平成2586日 広島

 

 あの日から68年。その時眼前に広がったものは、人類がかって経験したことはおろか、想像だに及ばないこの世の(ほか)の情景でした。情景の醜悪(しゅうあく)さは、同じ力で反撃される(おそ)れなく原爆を投下した側の醜悪(しゅうあく)さです。地上には、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい破壊の惨状を眼前にしながらも、明日の復興に向い、渾身(こんしん)の力を振絞(ふりしぼ)って生きぬかれた皆様の姿がありました。その姿を想うとき、私達は(じゃく)として声もなく、ただ心を打たれるばかりです。我が国では、戦乱や災害に遭っても人々は暴動や犯罪に走ることなく、助け合い、死者を(とむら)って困難を克服してきました。東日本大震災で世界の称賛を浴びた我が同胞の矜持(きょうじ)は、皆様から脈々と受け継がれた魂の発露(はつろ)です。原爆投下のわずか三日後に、決死の覚悟で広電を運行させた「広島(ひろしま)電鉄(でんてつ)家政(かせい)女学校(じょがっこう)」の若き乙女達の姿は、受難者達を(いた)み、原爆(げんばく)瓦礫(がれき)に手ずから格闘する人々に、限りない勇気を与えたことでしょう。空前(くうぜん)の惨状にも(くじ)けなかった精神は、原爆を凌駕(りょうが)しました。私達は、その皆様、すなわち私達の祖父母、父母、家族、友人達に(いつく)しみ(はぐく)んで頂いたお蔭で、今日ここに立っています。

 そして現在、私達は新たな困難に直面しています。北朝鮮は、今年3度目の核実験を強行しました。そして、我が国全体を射程に収める核ミサイルを配備し、遂には我が国の都市名を挙げて核攻撃の意図を(あら)わにしています。私達が三度目の大虐殺を受ける恐れが現実的なものになりました。中国は、その北朝鮮を国連で擁護(ようご)し、南シナ海を制覇(せいは)し、侵攻の触手(しょくしゅ)を尖閣諸島から沖縄にまで伸ばして我が国に対する挑発を繰り返しています。韓国は北への備えを名目にして、我が国を攻撃できる射程千Kmのミサイルを配備しました。そして虚構(きょこう)の歴史を(もてあそ)び、我が国への敵意ある宣伝を世界で繰り広げています。さらに、北アフリカから中東一帯の動乱、イランの核兵器保有への動き、アフガンの内戦と、世界秩序は危険に(さら)され、諸国からの平和維持部隊は数少なく、平和回復の兆しすらありません。

国連はますますその機能を失い、力だけを信奉して利益を得んとする幾つかの国は、この変乱の中で身勝手な口舌(こうぜつ)(ろう)し、私達の祖国を蚕食(さんしょく)しようとしています。

私達は、このような他国を蹂躙(じゅうりん)し抑圧することで(おの)が利益を得んとする国々のエゴイズムに対して、敢然(かんぜん)と立ち向かわなければなりません。

しかし、私達の努力を敵視し妨害するものがあります。それは「平和を維持し、専制(せんせい)隷従(れいじゅう)圧迫(あっぱく)偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会(が存在し)、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼(すれば)われらの生存と安全(が保持できる)」という迷妄(めいもう)です。これは、我が国の敗戦後に占領者が植え付けた、(いま)だ見ぬ物の()の世界観に他なりません。これに幻惑(げんわく)された、あるいは確信的な我が国特有の奇怪(きっかい)な「平和主義」者達は、熱心に原爆の悲惨さを強調し、私達が本来持つべき自立自尊の精神に基づく真の平和をねじ曲げ、皆様の崇高(すうこう)な魂を(おお)い続けて来たのです。彼らは、北朝鮮には一編の抗議声明を出しただけで後は静かでした。彼らは中国の侵略的な挑発には反応せず、我が国が防衛体制を整えることを危険視します。彼らは「核兵器を廃絶すれば平和になる」と言いますが、核兵器以前にこそ大きな戦争のあったことを語りません。彼らは「戦争になったら山に逃げる」と答える児童生徒を(たた)えますが、辺境の山奥で生き延びる覚悟も方法も示しません。反対に彼らは「殺すより殺される方を選ぶ」と(とな)えて死ぬことを称賛(しょうさん)するまでになりました。平和とは、国家の自由と独立を保持し、国民の生命と財産を守る力を基礎にして築かれるものです。だから、理性を(わきま)えた諸国は自国の自由と独立を防衛するために、憲法で国民に「国防の義務」を求めています。我が国の奇怪(きっかい)な「平和主義」は、平和の基礎を破壊するものでしかありません。

私達と皆様は、今や幽明境(ゆうめいさかい)(こと)にするまでの時を経ましたが、私達は「刀をくれ、やっつけてやる」「兵隊さん(かたき)をとって下さい」などの数々の末期(まつご)の言葉に(あらわ)れた皆様の怒りや憎悪(ぞうお)を胸に(きざ)み、皆様の秩序(ちつじょ)整然(せいぜん)とした不屈の魂を我が誇りとし、我が心に満たします。そして私達は、銃もて戦う勇者の歴史にも学びます。

第一次大戦では、進撃するドイツ軍に対してルクセンブルクは一枚の協定書を読み上げて抗議しましたが、国土は瞬時に蹂躙(じゅうりん)されました。先の大戦では、ナチスに侵攻を企てられたスイスでは、数十万人のスイス軍兵士が動員され、「スイス人の血と肉を出来るだけ高く、ナチスに売りつける」との総司令官の言葉に(こた)えて、塹壕(ざんごう)(ひそ)み、全滅するまで戦う気概(きがい)を示しました。長大な戦車柵と無数の地雷も備えました。このスイスの構えと備えこそが、ナチスの侵攻を未然(みぜん)に防いだのです。中立国フィンランドには突如ソ連の大軍が攻め込みました。フィンランド軍は寡兵(かへい)をもって大部隊を殲滅させる戦果を挙げ、ソ連軍を損耗(そんもう)させ進撃を停滞させました。フィンランドはこの勇猛(ゆうもう)果敢(かかん)さの故に、戦後も独立を維持できたのです。

スイスの(かま)えと(そな)え、フィンランドの奮闘(ふんとう)、そしてルクセンブルクの敗北こそが、私達に平和の何たるかを教えています。それは、力無き理性と暴力が対峙(たいじ)したとき、理性の側が敗北すること。理性に力が備わったときに初めて暴力の側に理性を呼び起こすこと。そして、暴力にはそれと同じ力で反撃できるだけの力を備えなければならないことです。我が国を犯さんとする国々の持つ力は何か、奇怪な「平和主義」に力を与えている物は何か、それを考えたとき、私達がなすべきことは自ずと明らかです。

自国を敵視して「平和を愛する諸国民」を盲信(もうしん)する愚かな「平和主義」こそが、我が国同胞の平和と安全への最大の加害者です。彼らは全被爆者の代弁者として発言しますが、それは大きな(いつわ)りです。内輪だけで盛り上がり、何の効果も無い空想の言葉を叫び、自己(じこ)陶酔(とうすい)と異論の排除に執着(しゅうちゃく)し、あの惨状(さんじょう)(こく)(ふく)した皆様への感謝と鎮魂(ちんこん)を忘れた「ヒロシマの平和」は終わらせなければなりません。

世界秩序が危険に(さら)され、変動しつつある現代は、世に常無きものは無いと、我が祖先達が(つと)達観(たっかん)していた姿です。そして我が国は、悠久(ゆうきゅう)の古代から式年(しきねん)の再生によって変化に立ち向かう力を産み出して来ました。伊勢(いせ)出雲(いずも)(やしろ)がまさに再生せんとするこの年、我が国平穏の時代は終わり、私達は新たな覚悟をきめる時が来ました。内なる迷妄(めいもう)()(はな)ち、迫り来る外なる暴力への備えを固め、もって皆様から頂いたこの自由で独立した祖国を、子孫に渡すことが私達の務めです。どうか皆様、彼岸(ひがん)彼方(かなた)から、あの原爆を乗り越えた不屈(ふくつ)(たましい)を私達に届けて下さい。「過ちを繰り返えさせない」ために。

「平和と安全を求める被爆者たちの会」

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平成24年 私たちの平和宣言 

67年前のあの日、
非道なる原爆で一瞬にして残虐で理不尽な死に直面した方々、
そして3日後に同じ運命に直面した方々、さらには無差別爆撃の
あるいは機銃掃射の、艦砲射撃の、標的になって死に追いやられた
わが国各地の方々・・。
夥しい犠牲者は今もってすべてを数え上げることすらできません。
あれは誤爆でも偶然でもありません。あなた方は狙われる謂われのない
無辜の人々でした。あなた方は私たちの父母、祖父母あるいは兄弟たちでした。
惨禍の中、肉親を、同胞を求めて彷徨い、精一杯の手当てを施し、
逝く者に寄り添いました。こうした努力を続け、
そしてかろうじて生き延びた方々は力をふり絞り、
原子砂漠を美しい街に蘇らせました。
歳月はこうした方々の多くも旅立たせて行きました。
そして今、私たちはあなた方に心から感謝の気持ちを捧げます。
 
 
「刀をくれ、やっつけてやる」と見守る人に求め、国歌を歌い、
「母ちゃん」と呼びながら、被爆後一日あまりで短い生涯を閉じた中学生・・
朝5時の汽車で通学して勉学と土木作業に邁進した少年・・
大阪爆撃の瓦礫から遺体を掘り出す作業に携わってから広島に移り、
被爆死した少年・・
20キロ以上の道のりを歩き、
炎上する広島の街に入って我が子を探し歩いた父や母・・
爆心地の防空壕で負傷なく難を逃れながら
直後に救援活動に当たったために受けた放射線障害で、
10日あまりのうちに全滅した長崎のとある町の人々・・。
兵士、警察官、教師、民間人、そして子供達までが、
未曾有の惨禍にあってなお秩序整然として、
同胞相助たすけ合った数々の姿を思うと、
私たちの胸は張り裂け涙が止まりません。
国は負けましたが、心は負けなかったのです。
強い心を持ち、空前の悲惨さの最中でも
他者に分け隔てない慈愛を注ぐことの出来たあなた方は、
私たちにとって最大の誇りです。そしてその精神と行動を受け継ぐことが、
私たちの責務であると信じます。
 
今、私たちには危険が忍び寄っています。
北朝鮮は核爆弾を一層高度化し、弾道ミサイルの射程は伸び、
既にわが国は完全にその攻撃範囲に入りました。
彼らは「我々は堂々たる核保有国であり、強勢大国への道に入った」と呼号し、
米国まで届くミサイル保有まであと一歩の段階です。
中国は、その北朝鮮に弾道ミサイル運搬車両を供与していました。
北朝鮮制裁決議をした責任ある安保理常任理事国でありながら、
平然とそれを犯しているのです。核拡散防止条約は、
核兵器国である中国自らが義務を破ったことで無意味な存在になりました。
中国はまた、通常兵器を質量ともに過去10年で3倍以上に増強させ、
南シナ海全域を軍事的に制圧し、わが国固有の領土である尖閣諸島の奪取は
秒読み段階に入りました。
さらには沖縄本島にも魔手が忍び寄っている兆候があります。
中国の核弾頭の推定保有数はこれまでの200発が3000発以上と
大幅に上方修正されました。
なす術を失っているわが国の足元を見たロシアは、
北方領土問題を無視し去るようになりました。
韓国では、前大統領時代に密かにウラン濃縮を行っていたことが発覚しました。
そして、現政権与党の有力議員が記者会見で核武装の意図を公言したことが、
現地では肯定的に報じられています。
 

そしてわが国の核廃絶主義者達は、「原子爆弾は中華民族の尊厳」
と公言する中国に対しても、核攻撃能力を日々強める北朝鮮に対しても、
驚くほど静かです。反面、すべての核兵器保有国が行うはずの未臨界実験では、
実験を公表する米国にだけ非難の矛先を向けています。
彼らは、米国オバマ大統領のプラハ演説のレトリックに欣喜雀躍はしても、
今年の米国国防報告における中国の記述が昨年よりも極端に減少して
その危険性に目が閉ざされ、融和的に変質した意味を理解できないのです。
それは、北朝鮮の核能力とミサイル性能が向上するにつれて
米国が北の核兵器保有を黙認する政策に転じたように、
中国の軍事力増大に対しても、
米国がその身勝手な行動を抑制する意思を減退させたことを示しています。
韓国の核武装発言もこの文脈の中の出来事だと見なければなりません。
 
憲法平和主義の自縄自縛に陥ったわが国は、
一日も早くこのように冷厳な現実に目覚めて、
あなた方の示された強い精神と行動を取り戻さない限り、
私たちの主権と独立が侵害されても身をやつすしかありません。
 
平和主義こそがわが国の平和を脅かしているとは、
何という皮肉でありましょうか。
学校で「平和教育」を受けてから幾星霜、
私たちは国際情勢の現実を認識するほどに、
それが幻想であったことに気づきました。
そしてあなた方が備えられていた志が、
いかに貴重であったかを知りました。
 

ひと頃盛り上がりを見せた反核運動が、
社会主義国の核兵器の善悪を巡って争い、そして分裂したことからは、
その運動が本当にすべての核兵器を廃絶させるためのものではなく、
見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない悪弊に
陥っていたことがわかります。
彼らは、わが国が取るべき方策を妨害しこそすれ、
肝心の核兵器を開発、保有する外国を自らの主張に
沿わせたことがあったでしょうか?
 
旧ユーゴや南スーダン、エリトリア、東チモールなど、
現代世界は一つ国家の内部で価値観を共有する民族が集結して
分離独立を求めて争い、分割国境が確保されたときに
安定化するという事実が現出してきました。
国家は統合されるどころか分裂し、数は逆に増えているのです。
この状況の何処に「世界市民」などが存在するのでしょうか。
広島平和公園の碑文に刻まれた「あやまち」が
「世界市民」のあやまちだ、との主張は詭弁でした。
犠牲になったあなた方の、
誰一人としてあやまちなどを犯してはおられません。
 
当時の国際法を見れば、誰が戦争犯罪者かは明らかです。
だれが原爆投下を命令したのか、その名前も私たちは知っています。
戦勝国に、不当な根拠で罪科を問われた日本人は、
東京、横浜を始めアジア各地で1000名有余が処刑されたにも関わらず、
彼の地では誰も処罰されることはありませんでした。
 
死に臨んで、刀をくれと叫んだ少年の気持ちを、
兵隊さん仇をとってくれ、と懇願された人の気持ちを、
黙々と復興への努力をし続けた人々の思いを、志を、
私たちは受け継ぐことをここに誓います。
占領時代に恣意的に作られた物語には左右されません。
絶対に・・・。
 

さもなければ、私たちは三度理不尽な惨禍を受ける危険を避けることは出来ません。
私たちは、虚構の「平和教育」から覚め、
幻想の核廃絶運動に身を委ねることなく、
世界の大勢と祖国の現状を見据えて進みます。
そして改めて宣言します。

「あやまちは繰り返えさせませんから................」と。

 
        平和と安全を求める被爆者たちの会

  

 

 

平成24年 私たちの平和宣言 PDFデータ
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平成23年 私たちの平和宣言

  平成23年8月6日 広島

 

66年前の今日(きょう)、非道なる原爆攻撃は(おびただ)しい無辜(むこ)(たみ)を一瞬にして殺傷し、街は灰燼と化しました。突然に絶たれた命、苦痛の最期(さいご)を遂げた命、これを思えば今なお滂沱(ぼうだ)の涙を(ぬぐ)うことも(かな)いません。辛くも生き延び、なおも心身の深い傷と、明日知れぬ恐怖に(おのの)かれた方々・・・。皆様はあの惨状(さんじょう)を、悲嘆(ひたん)と憎悪を、秩序整然たる態度で耐え忍び、希望に向かって手を携え復興に邁進(まいしん)されたのです。爾来(じらい)人々は渾身の努力を傾け、我が国は世界屈指の技術力を誇る主要な経済大国の地位を占め、私たちは平穏な日々を送れるようになりました。

ここに改めて深い鎮魂と感謝の心を捧げます。

しかし、平穏は破られました。3月11日の大地震(おおじしん)大津波(おおつなみ)は、営々として築かれてきた東北地方の多くの街を、故郷(ふるさと)を、一瞬のうちに喪失(そうしつ)させ、3万有余の犠牲者と50万人(よ)の避難民を生みました。名状(めいじょう)しがたい被災地の惨状は、あの当時の広島の姿と重なります。

遺体収容に当たった自衛隊や警察官は、「傷つき汚れた遺体を少しでもきれいにして家族に返したい」という想いを込めて、自分の家族を扱うように一体一体手で洗いました。

波に消え、離れ離れになった数多くの母と子、そして家族。天国で再び絆が結ばれんことを・・・。

被曝の危険を身に受けたハイパーレスキュー隊の働きは、放射能の放出を大きく抑制しました。

余震の中で避難に遅れた人の背中を押し、急がせ、自らは波に(の)まれた警察官がいました。避難を呼掛け続け、マイクを持ったまま命を絶たれた若い女性の姿は、中立条約を破った不法な軍事攻撃に(さら)されながら刻々と事態を知らせ、最後に「日本(にっぽん)の皆様さようなら」と打電して絶命した樺太(からふと)真岡(もおか)郵便局の女性を思い起こさせました。

避難した人々は、乏しい物資を分かち合い、助け合い、老幼を(いた)わり、整然と列を作って物資の分配を受けました。

 原爆の時、非常呼集されて救助に当たった軍人や警察官、医師と看護婦、公務員、自らも被災しながらわが身を(かえり)みず、力を振り絞って救援に参じた民間の人々と、今年の災害で家族を失っても、救助活動に挺身(ていしん)した『自衛隊、警察、消防、海上保安庁、国や自治体や民間の人々』の献身的努力、そして避難者たちの姿は、時を(へだ)てても変わらない日本人(にっぽんじん)の誇り高き不屈の精神の発露(はつろ)でした。

 66年前のあの時の皆様が、「秩序整然たる態度はわが国人(くにびと)(はん)とするに足る」と隣国から賞賛されたのと同じように、今の同胞達の冷静沈着、(りん)とした行動は、諸外国の人々を驚嘆(きょうたん)させました。灼熱(しゃくねつ)の原爆が皆様の心にまでは届かなかったように、凍える大波は同胞の心までは流せなかったのです。皆様の高き心は、時を経ても失われてはいませんでした。

あの当時を生きた皆様は、どの国の力も借りずに惨禍(さんか)に立ち向かわれたのでしたね。

私たちはこの震災で、百を超える諸国から救援を受けました。

原爆で全身に火傷(やけど)を負い、白い薬で塗り固められた少年が「アメリカの馬鹿(ばか)やろう」と言って死にました。そのアメリカが、今度は誰も真似のできない活動をしたのです。瓦礫に覆われた仙台空港を瞬くうちに修復して大型輸送機を飛ばし、各地に物資を届け、自衛隊の車両を運搬して、我が国の活動を根底から支えました。取り残された島に物資を運んだ艦艇では、艦長や将兵が、持てる私物を下着まで供出して被災者を救いました。彼ら無くして迅速な救援活動は危うかったのです。「トモダチ」作戦は、『くやしいけれど立派』でした。

少年よ許し給え。今、私たちはアメリカに「ありがとう」と言います。そして、諸国の人々よ、心からありがとう。

 しかし、一旦目を外に転じれば、東の津波とは無関係に、北の海にある我が大地に(か)の国の要人が踏み込み、西の海では隣国の艦船の撃沈と人々の暮らす島への突然の砲撃で緊張は高まりました。南の海では我が艦艇に漁船が突撃し、日本(にっぽん)の主権を(おか)す波がひたひたと迫っています。三つの波は、(い)まわしい核兵器を背景に、武威(ぶい)を押し立てた人為の波です。祖国は今、危機の中にあります。私たちは『四方(よも)の海に波風(なみかぜ)の立ち騒ぐ』ことを決して望みませんが、迫り来る国の微笑に幻惑された「核廃絶」の呼掛けだけでは、武威(ぶい)波頭(はとう)を押し留めることはできません。それは、さらに遠い南の海の現実をみれば明らかです。同胞よ、厳しい現実から目を(そ)らす(なか)れ。夢の言葉は今は(い)らない。祖国の平和と、自由と繁栄のために何をなすべきかを深く思考せよ。三度目の核の惨禍を防ぐ手段を備えよ。私たちは万国の法の認めるあらゆる実効的な努力と行動を続けることだけが、それを可能にすると信じます。

現政府の要路(ようろ)にある方々に求めます。南の海の真実を同胞に知らしめた人を罪人(つみびと)にする愚かさを(や)めて下さい。『(じょう)の激するままに事を(ね)じ曲げ、時局を乱し、内輪で争い、為に大道(だいどう)を誤り、信義を世界に失うことを自ら(いまし)め』て下さい。被災者の苦難の日々を分かち合い、雄々(おお)しく津波に立ち向かった者が希望を捨てることなく、放射線から逃れた人々が一日も早く故郷に戻れるように、遠い先の夢ではなく、今の現実を基にした実効的な政策を出して下さい。

それが出来ないのなら、すみやかに身を引くべきです。

最後に、ここに眠る皆様方にお願いします。災害で犠牲になった幾多(いくた)の魂を、勇気ある者として皆様方の仲間に入れて下さい。残った私たちは、皆様方が命をもって与えて下さった教訓を(かて)に、身をもって示された足跡(そくせき)を手本にして、再び祖国を復興させることを誓います。皆様方にまだ「安らかに」とは言えない我が身を恥じますが、「どうか見守って下さい。過ちは繰り返させませんから」

 

「平和と安全を求める被爆者たちの会」

 

 

 

 

平成22年 私たちの平和宣言

広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言

 

 

ここに眠る皆様に謹んで申し上げます。65年前のあの日、火事を避けて太田川の河原で見た現実はこの世のほかの風景でした。広島市の惨状は大戦で被害を受けた他のどの地にも増して悲惨な光景でした。その日からわずか20日後の記録があります。

(おびただ)しい人の誰も泣かない。だれも感情を抑え、阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)の気配はどこにもない。黙って静かに死んでいく人達、ひどい火傷の負傷者の(じゃく)として静かな姿に心打たれる。水をのみ、握り(めし)(ほお)ばってはっきりと名を告げて息を引き取った少年勤労学徒。死骸と並んで寝ることも恐れぬ忍耐。(むくろ)になった幼い妹を背負い、直立不動で焼き場に立つ少年。

あなた方はどんな貴族よりも高い精神の中にいたのですね。中華民国は、日本破れたりとはいえ、秩序整然たる態度はわが国人(くにびと)(はん)とするに足る、と賞賛しました。

原爆はあなた方の心にまでは届かなかったのです。私たちはそれを誇りとします。

し かし、あなた方はこれが犯罪的で理不尽な攻撃であることを知っていました。外国人特派員を案内した日本人は断固として、「広島の住人は君達を憎悪してい る」と言ったのです。その言葉は生き残った人々の眼にも顕れていました。それでも、嘆きと憎悪の日を希望の日に変え、互いに助け、互いに労わり、手を携え て復興に邁進されたのです。

 多くは(たお)れ、別の多くは永らえ、新しい命を(はぐく)み、街は見事に蘇りました。私たちは今なお、あなた方の力と心によって生かされています。

 思えば、我が国人(くにびと)は千数百年にわたり、時(きた)れば御社(みやしろ)を壊し、また作り、そして精神もまた、蘇ってきたのです。広島も同じです。(いにしえ)に海を越えてやって来た数多(あまた)の神々もそれぞれにその所を得て先祖たちと溶け合い、懐深い心を作りました。それでも人の生きる営みは時に争いを起し、(たけ)き者もやがては滅びました。この姿に、人々は千年も前に悟ったのです。永遠に続くものは無いと。消えかつ結ぶ(うたかた)の命の、浅い夢に酔うことはないと。

東から吹き寄せた風は束の間の300年の平穏を破り、父祖たちは荒ぶる世界に直面しました。そして様々な人たちの様々な故郷(ふるさと)取り、あるいは取られ、ついあの日が来たのです。 

私たちは(ほこ)を収めましたが荒ぶる世界はなおも続きました。世界の東西に壁が張り巡らされました。時の流れの中で恩讐を超えて、この国はあなた方を苦しめた側に立ちました。そして豊かさを得ました。しかし、あなた方の、あの静かなる誇りと忍耐や高い精神は忘れられてきています。

20年前、西方では自由の風が壁を壊しました。古人(いにしえびと)の悟りは正しかったのです。近くの壁の力は弱くなり、勃興した新しい(たけ)き力は暖気と冷気の混ざり合った渦となり、我が国に吹き寄せています。核の国は増え続け、核の知識は広がりました。不気味な隣国の増大する核の脅威に私たちは(さら)されるようになりました。

未だなお、奪われたままの故郷(ふるさと)があります。奪われたままの同朋(どうほう)がいます。奪われるかもしれない故郷(ふるさと)もあります。今、我が国の苦難は深まっているのです。これに(おのの)き、避けんとする人々は茫漠(ぼうばく)たる抽象の彼方に視界を送り、観衆の声援を集めることに力を費やし、照らし出すべき光の焦点を定ようとはしていません。しかし、声援はあっても、その光の先には未だ想像以外のどんな実像も結ばれていません。

その一方で、歩むべき足元の道は闇に隠れました。そしてこの国では、足下の道を(ひら)くどころかそこに光を当てること忌避されるようになりました。私たちが苦難を乗り越えて生きるためには、今歩むべき道筋をしっかりと見定めなければなりません。風の前の塵であってはならないのです。 

私 たちは決意しました。例え忌避されようとも、闇にもまた光を当てなければならないと。遠くも、近くも、そしてどんなに苦しくとも照らし出さなければならな いのです。万国の法は核と争いの縮小を求めています。さらにその実現のために、声援だけではない努力も求めています。直接の脅威に(さら)される我が国は、万国の法の認める価値をともにする国の取る行動と歩を合わせ、あらゆる努力が傾けられなければなりません。今日平和であることは、明日の平和を保証しないのです。明日に連なる実効的な努力の継続だけが、永続する平和への扉を開くのだと確信します。

私たちはまだ、あなた方に「安らかに眠ってください」と言える資格がありません。今の私たちには、世界と溶け合った(いにしえ)の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い精神を必ずしも受け継いではいないからです。しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、「兵隊さん、(かたき)を取って下さい」と言われた人のいたことを忘れません。あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あなた方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平和(つな)ぐことが出来たとき、私たちの(かたき)討ちは終わります。その(あかつき)には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。

「安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから」

 

 

式典で読まれないもう一つの平和宣言
広島 平成22年8月6日

「平和と安全を求める被爆者たちの会」
代表      秀 道広 (被爆二世)
事務局長代理  池中美平 (被爆二世)

 


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