被爆者団体への公開意見書

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平成23620

 

広島県被団協

坪井直理事長 殿

 

  県被団協

金子一士理事長 殿


  「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会  

      牧野一見事務局長 殿

 

 

              平和と安全を求める被爆者たちの会

               代 表    秀 道広

             事務局長代理 池中美平(文責者)

(公式サイト:http://www.realpas.com

 

                       

前略 戦後長きにわたり、広島市の平和的復興と発展にご尽力頂いたことに深く感謝申し上げます。なお、区分の都合上、貴団体名を略称にて記載致しましたことを悪しからずご了承下さい。

 

 私達は「平和と安全を求める被爆者たちの会」と称して、被爆二世および被爆者を中心に、昨年、設立の運びとなった会でございます。もしご既承でありますならば、失礼の段お許し下さい。

 

 さて、平成23年6月17日付け中国新聞社記載記事(副見出し:被爆者援護広島市長が発言)が事実を伝えていると仮定して、以下、私どもの意見を公開にて提出いたしますので、ご記憶に留めて頂きますよう、お願い申し上げます。

 

1.            市長発言中、被爆二世に関する部分に対して

 

当会の被爆二世は、親である被爆者たちから、つらく悲しい言うに言われぬ過去の経験を、根掘り葉掘り聞き出したことはありません。おそらく他の多くの被爆二世も同様でありましょう。親の心情を考えれば当然のことであります。しかし時折の話の端々で、大体の様子は推測出来ました。その意味で、市長発言の「親子関係でそんなに原爆の話をしとることは多くないと思う云々」は全くその通りで、異論を挟む余地はありません。管見する限り、一般の被爆二世も全く同様でありました。

また、もし細部まで話してもらったとしても、それはあくまでその時点での親個人の見聞と体験の範囲でしかありません。被災者個人が事件の全体を把握することはできませんから。


1. 死んだ人発言について

 

   客観的に見て、

 

一番の被害者は、最初の熱線と爆風などの破壊効果で物言えぬまま亡くなった人。


二番目は、直接または急性の身体被害によって数日から数ヶ月後に亡くなった人。


三番目は、後遺症などの晩発障害によって天寿に至らず亡くなった人。

四番目は、身体に痕跡や不自由を残して苦しみつつも生き永らえた人。


五番目は、被爆後の色々な影響から脱して人並みの健康を維持できた人。

 

という区分けが出来ると考えられます。現在、被爆二世(胎内被爆を除く)とそれ以外の人々との間に健康上の違いがないことは疫学的に明らかになっているので、二世を「被害者」と言うのは医学的根拠に乏しいと考えてよいでしょう。

   すると、現在公的支援を受けているのは、本人が直接原爆の被害を受けた四番目か五番目の方々ということになります。

   一般には、直接的な健康被害は爆心地から4km以内で被爆した人に限られますが、

  原爆被害の大きさは必ずしも爆心地からの距離とは関係がありません。8月6日当日は広島市内にいなくても、翌日以降にまだ残留放射線のある中を、家族、親族を捜して市内をさまよった人や、放射性物質を含んだいわゆる黒い雨に濡れた人のなかには、様々な影響を受けた場合もあることが知られています。

   ですから、「爆心地から4キロも離れたところで被爆者というのは後ろめたい」と仰った方の気持ちは誠に慎ましく、そして悲しく、深い同情の念を覚えます。そのような方々に税金が投入されているとしても、被爆二世を含めた納税者には全く違和感はありません。

   しかし、明らかな障害なく健康で過ごされている方が、被爆者だからという理由だけで、東京や大阪、その他諸都市での一般被災者とは別の、追加的公的支援を自明の権利として要求されているとすれば、日本全体の納税者が果たして納得するものかどうか疑問です。少なくとも広島、長崎以外の非被爆地域からは、それを「被爆者利権」「被爆者特権」と悪く呼ばれていることを考慮に入れるべきでありましょう。

   広島市長が「ありがとうという気持ちを忘れんように」と述べられたことは、被爆者支援の助けになっています。そのような気持ちと調和するのが、善良なる日本人の特質でもあります。市長発言は被爆者の助けにこそなれ、全く非難すべきいわれはないものです。

 


2.坪井直理事長殿のご発言に関して

 

 3-1 「被爆地の市長の言葉の重みを自覚できていない」の件

    

広島市長の本来任務は、百万市民の生活の安寧と発展にあります。法的地位として、「被爆地の市長」なる存在はありません。公務員は法の規定する通り、「全体の奉仕者であり、一部の奉仕者であってはならない」のであります。

   従って、過去広島市が原爆の攻撃を受けた、という事実だけを行政の中心に置かれるとすれば、そちらの方こそ「市長の任務に不誠実な行為」と言わざるを得ません。被爆体験を沢山聞いて知見を広げることは絶対的必要条件ではありません。市民一般はそのような全体を判断して、選挙で現市長を選んだ事実を重視すべきであります。「被爆者」であることを主張の中心に据えて、市政に一部団体の意思を反映させようとする行為こそ、「被爆者特権」を自明のもの、と考えておられることの証明ではないでしょうか。

   ありていに言えば、被爆者や二世だけが広島市民ではない、ということです。坪井理事長殿と同じ視点に立たないことをもって反省すべきというのは、理事長ご自身の個人的見解に過ぎません。希望の表明はご自由ですが、公的に市長が「反省」すべきであると認めることはできません。

   もし、ハワイホノルル市長が「日本の攻撃を受けた都市」として、特別の講習を受けることが義務付けされ、日本に対して折に触れてそのことを指摘し非難すれば、未来に向けての平和友好は砕け散ることでしょう。

 

 3-2 「勉強をするべき」の件

 

   市長が「反省」するべきいわれのないことは既に申し述べました。勉強については、具体的にはどういう内容の勉強でしょうか。既に市として「被爆者体験の聞き取り調査支援」の施策を実行されていることをご存知でしょうか。市の広報に明確に書かれている事実です。

   これは画期的なことであると私達は評価します。その結果、これまでとは違う新しい事実、知られない“不都合”な事実が出てきたとしても、私達にはそれらも含めて受け入れる用意があります。そして、今回の松井市長の発言に共鳴する被爆者とその家族たちがいることを知っています。私達は、現市長がこれまでの市長以上に被爆者のことを「勉強」されたからこそ、今回の発言にいたったものと考えます。

 

3. 金子理事長殿のご発言に関して

 

 4-1「被爆者は国家補償を求めている」の件

   

   「補償」とは法の規定によれば違法行為について求めるものであります。

つまり「違法無きところに補償無し」なのであります。現在の「日本国家」つまり政府と国民が、現在存命中の被爆者に対していかなる「違法行為」があったのでしょうか。

歴史的事実から言えば、戦時国際法の禁じる非戦闘員への無差別爆撃を原爆を含めて日本諸都市に行ったのは米国です。しかし、我が国は講和条約で敗戦国の悲哀のうちに米国への請求権を放棄させられたのであって、本来的に日本国家が「補償義務」を負うものではありません。しかし、被災の甚大さ、悲惨さを勘案すれば、国家の名誉にかけてこれを放置することのできないことは事実です。だからと言って、日本政府が代わって補償しろ、と仰ることには違和感を禁じえません。国家の補償の原資は二世も含めた日本国民の勤労に基づく納税であります。被爆者、被災者の方々との共感共苦の心のつながりがあってこそ、納税者も納得できるのが道理であり、少なくとも新聞の伝える如きお言葉を出されたのだとすると、納税者の共感は得られないでしょう。お言葉は過剰に権力的であり、居丈高といわざるを得ない響きがあります。ご再考あらんことを。

   尚、私達の親つまり被爆者でも、この「国家補償要求」には賛同しなかった者が少なからずいることをご存知でしょうか。

 

 4-2 「援護は施しではない、感謝の気持ちについて市長から言われる筋合い」の件

 

   既に、納税者心理を踏まえないご要求は賛同を得られないと申し上げました。共感共苦の精神のお持ち合わせがないことも推察します、しかし日本国家の一員たる二世も含めた納税者に違法行為はありません。ならば、納税者(つまり支払い側)として申し上げます。今度の震災被害者の場合と同じく、支援する側の協力と受ける側の感謝とが結び合わない限り、ご希望が成就することはないでしょう。少なくとも私達はそのような一種「理不尽」と思える要求に応えることはありません。市長の助言は誠に当を得たものである、としか言い様がないのです。「筋合い」の問題ではなく、貴団体の心もちの問題であります。

 

4.牧見事務局長のご発言に関して

 

    どのように読んでも、市長が被爆者に感謝を強いるとは感じとれません。お互い様の気持ちの中で、原爆被爆者には特別に手厚い援護がなされているのではありませんか。前2項で度々指摘した通り、共感共苦、互譲の精神が被爆者支援を守ってきたのではありませんか。ご思考の再点検が必要なのは市長ではありません。

   また、既述した歴史的経緯の中で、日本国家(政府と国民)とで自助努力をせざる得なくなったのが実相であり、その制限条件の中で「感謝」が現れるのは自然の流れという他はありません。「原爆を落とした米国と戦争を起こした日本政府」とありますが、現市長は戦時の日本政府にも原爆投下時の米国とも何の関連性もないのです。

市長発言は失格どころか、極めて正当かつ正論だと考えます。もし、貴会が原爆を落とした米国を免罪できない(道義的には同意しますが、条約義務的には請求できません)のならば、ご要求の一端は現米国政府に向けられたら如何かと思います。また「戦争を起こした」という日本政府は既になく、故に市長とは無関係であり、あの戦争に関する視点をどこにおくかもまた自由であります。何故なら、国家の免罪云々は行政官としての市長権限の範囲外であり、私見を元に拡大して批判するのはいかがなものか、と感じられてなりません。また歴史的経緯を見ると、当時の世界情勢と合法性観念から、日本政府が起こした戦争が罪になるはずもありません。

事実、極東国際軍事裁判も「政府・国家」を裁いたのではなく、当時要路にあった個人を裁いたものであることを是非、想起して頂きたいものです。

 

5.皆様に対して

 

市長への批判は自由です。しかし、それは各位の私見に過ぎません。広島市民の一部の個人の私見が、至高の価値をもって市長行動に掣肘を加えられるとすれば、それは「全体主義」と呼ばれる体制に他なりません。

中国新聞社が、他者に言わせる形で市政に強い影響を与えんとする意図があるとするならば、ジャーナリズムの名に値しない、とまで考えさせる記事でありました。

お三方を記事内容に即して批判的意見書としましたが、記事内容に誤謬があるなら、それを是非ご開示頂いた上で、私どもへのご意見をお寄せ下さい。

 

私どもは、「会」を作って後、種々の勉強会などを開いて参りました。政府や市に特別の取り扱いを要求する立場を取ってはおりません。その勉強会の中で、被爆の実相に触れる事実(広島ではあまり流布されてはいないようです)に触れる機会がありましたので、既にご存知かも知れませんがいくつかご紹介します。

 

1.      被爆直後、救助する人(国民服を軍服と間違えた可能性)に被災者が、「兵隊さん仇を取って下さい」と言った。これは複数の被爆者が聞いています。

 

2.      米進駐軍人が入広したとき、命令によって案内していた旧陸軍将校が集まった被災者と話をして、その進駐軍人に「彼らは君達を憎悪している」と言った。

 

3.      広島から手当てのために搬送された中学生が、体中に治療用薬剤を全身真っ白に塗られ、やがて「アメリカのバカヤロー」と言って死んだ。

 

広島市長が今後も被爆の実相を探るために、勉強を重ねられるとすれば、このような平和記念館ではお目にかからないこともお知りになるでしょうし、そう期待もしています。

尚、私どもの「会」は今年も8月6日の原爆忌には青山繁晴氏、田母神俊雄氏を招聘した講演会に協力しています。昨年は貴団体などの方々から抗議等をお受けし、前広島市長から「日程変更要求」も受けました。世評では、「核武装集会」などの悪罵も投げられているようですが、核兵器に関する意見は、青山氏と田母神氏は正反対のご意見の持ち主です。悪罵がいかに的外れかおわかりかと思います。私どもは、今の国際情勢からいかにして日本を平和のうちに存続させるかを真剣に検討する目的を持って、この講演会を今後とも継続するつもりであります。「核廃絶」を唱えるだけでは平和は得られない事実を前にして、実効的な平和構築、日本の安全を守る方策を検討する所存です。これを達成しない限り、貴団体の要求される、「補償」も「援護」も得られない状態になることは明白です。そのようにご理解頂き、以後お見知り置き下さい。

長々と失礼いたしました。皆様のご記憶に留められれば幸いに存じます。  

敬具

 

 

 



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